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2011年11月27日12:37
- 1 名前:HONEY MILKφ ★:2011/11/27(日) 10:27:18.44 ID:???
最近人気を集めているドラマ『根深い木』を数話見てみたが、あきれてしまった。フィクションだということを
加味しても、程度というものがある。義父の沈温(シム・オン)が殺されたからといって、父の太宗と正面から
対立する場面は、決して世宗のものではなく、想像すらできない。
今から600年前の1418年(世宗即位年)12月24日まで、時間をさかのぼってみよう。その前日、沈温は上王・
太宗の命令により、自ら命を絶った。翌24日、朝鮮王朝実録には世宗が「夢見が悪かった(夢寐未寧)」と
記されており、世宗の気分の悪さを間接的に表現している。さらに24日の夕刻、太宗は冷酷にも、大臣たち
を呼んで盛大な酒宴を開いた。酒宴には、前日に義父を失ったばかりの世宗も出席した。おそらく太宗は、
この事件を通じ、君主のポストとはどういうものかを、世宗に教え諭そうとしたのだろう。
ドラマでは、世宗が父の剣に護衛の武士の剣で立ち向かおうとしたが、この場面は歴史の中の世宗とは
大きく異なる。実際は、太宗が「主上(世宗のこと)が私に対し、心から慰労してくれるのに、私が喜ばない
はずがあろうか。ただ、主上の身が平安でないことを憂慮するのみ」と語ると、世宗は「臣がうまく酒を飲め
ないとしても、身は既に平安です」と答えた。世宗は最後まで、自分の務めから一寸たりとも外れることは
なかった。太宗の帝王訓練は、これにとどまらなかった。朝鮮王朝実録には、当時の状況について「上王
が立ち上がって舞うと、群臣も舞った」と記録されている。ただし、世宗の反応については、一切言及して
いない。しかし、世宗がその場で感じたであろう悔しさと惨めさは、容易に推し量ることができる。主観的な
判断かもしれないが、ドラマよりも歴史の方が、はるかにドラマチックではないだろうか。「1418年12月24日
夕刻の酒宴」をドラマのようにねじ曲げてしまったら、その後の世宗の極めて忍耐強い政治スタイルを
きちんと解釈できなくなる。
また、鄭道伝(チョン・ドジョン)との対立の構図もしっくりこなかった。鄭道伝には息子が4人いた。そのうち
3人は「第1次王子の乱」(1398年、李芳遠〈後の太宗〉をはじめとする王子たちが鄭道伝など反対勢力を
粛正した事件)の際に父と共に命を落とした。しかし、鄭津(チョン・ジン)=1361-1427=だけは、中央で
高い位に就いていたところ、全羅道の水軍に左遷された。後に太宗が即位すると再び呼び戻され、忠清道
観察使となり、世宗の代には工曹判書(公共事業を担当する官庁の長官)や刑曹判書(法や刑罰を司る
官庁の長官)を務めた。この部分だけを見ても、太宗・世宗と鄭道伝の残存勢力の対立というのは、
そもそもあり得ないでたらめな設定だ。
おそらく、このドラマの中心的テーマとなる訓民正音の制定も、集賢殿(学問研究のための官庁)の学者
たちが手掛けたように描かれるはずだ。しかし朝鮮王朝実録によると、集賢殿は『高麗史』を編さんする
学術機関にすぎず、訓民正音の制定とは一線を画している。訓民正音は、完全に世宗個人の秘密の
作品だ。申叔舟(シン・スクチュ)や成三問(ソン・サムムン)が明の学者らに助言を求めに行ったのは、
既に完成した訓民正音が言語として十分に使えるかどうかを点検し、理論的な裏付けを得るためだった。
この部分がドラマでどのように描かれるのかも、見守るべき点だ。
歴史「ドラマ」だからといってむやみに歪曲(わいきょく)し、虚構をでっち上げるのなら、それはもはや
「歴史」ドラマとは言えない。時として歴史ドラマは、現代を生きる私たちが歴史を読み込むレベルを示す
といえる。そうした面から見てみると、少し前に放送が終了した『姫の男』も「歴史」ドラマのカテゴリーに
含めるのは困難で、現在放送されている『根深い木』に至っては、歪曲の程度が甚だしい。いっそのこと、
現代社会を背景にした推理ドラマでも放映する方が、はるかに良いのではないか。「歴史」ドラマを制作
するのであれば、一定のレベルを守ってほしい。歴史ドラマというのは教育的な役割も無視できない要素
があるからだ。
李翰雨(イ・ハンウ)企画取材部長
ソース:朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/11/27/2011112700041.html
2011年11月17日08:35
- 1 名前:ニライカナイφ ★:2011/11/16(水) 21:43:01.77 ID:???
◆ソウル 送別の宴うれし苦し
ちょうど二年間の韓国勤務が終わる。
三度目の今回も帰国間近になり、前回二度の勤務時と同様の“試練”が待っていた。
「オレと一杯やらずに帰るつもりか」。
帰国の便りを聞き付けた当地の人々から送別会の誘いが飛び込んでくるのだ。
もともと酒好きなので、勧められるとグイグイやってしまう。
連日の酒席は体を壊しかねないと思って、送別会の回数を減らそうと
今回は離任状の郵送を遅らせるなどし、地元の人への帰国連絡を先延ばしにした。
こうした浅知恵が裏目に出た。帰国予定の二週間ほど前から、
送別会の誘いが殺到してしまったのだ。
「○○日の夜は?」「いやあ先約があって」「じゃあ昼間にしよう」。
せっかくの好意を断るわけにもいかず、平日も週末も関係なく、昼夜を問わず、
ビールに焼酎、マッコリとアルコール漬けの毎日。
こうした現況を欧米で長く暮らした経験のある邦人駐在員に話すと、彼は言った。
「ありがたいことじゃないですか。欧米ではそんな濃密な経験はできませんよ」
その通りと思う。
日本と韓国の間には、竹島(韓国名・独島)の領有権や歴史をめぐる問題がある。
しかし韓国人ひとりひとりは親切な人が実に多い。
本稿を執筆中、携帯電話が鳴った。「一杯やる時間まだある?」。
中日新聞 2011年11月16日
http://www.chunichi.co.jp/article/world/worldtown/CK2011111602000204.html