2012年01月28日15:27
- 1 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 13:05:48.84 ID:???
「来年は日中国交正常化40周年。国民感情の改善を図っていきたい」。昨年11月、中国を訪れた玄葉光一郎外相は
温家宝首相らと会談し、友好関係をアピールした。しかし会談に合わせるかのように、中国艦艇6隻が沖縄沖の公海を航行。
硬軟織り交ぜた外交戦略が垣間見えた。
歴史の節目を迎えた両国関係は、はるか1800年前、日本が倭(わ)と呼ばれていた時代にまでさかのぼる。それは近年の
発掘調査で明らかになってきた。
女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で1年前、
卑弥呼の宮殿かと話題を集めた大型建物跡から約3千個の桃の種と、土から桃の花粉を検出。建物周辺に桃の木が植えられ、
「桃源郷」をイメージした宮殿だったことが分かった。
桃は古代、仙人の食べ物とされ、中国の宮殿には桃園があったという。纒向遺跡の大型建物跡も、中国の宮殿を模倣する
ことで威厳を示そうとした可能性が浮上。そこには、卑弥呼のしたたかな国家戦略があったと見ることができる。
卑弥呼が活躍した2~3世紀、倭は北部九州と畿内の2大勢力をはじめ、東海や出雲(島根)などが台頭した群雄割拠の
時代で、邪馬台国もその一つ。魏志倭人伝では卑弥呼は諸勢力が「共立」した女王とされ、政権基盤は決して盤石ではなかった
ようだ。
そこで、卑弥呼が頼ろうとしたのが中国の威光だったと見るのは、近藤喬一・山口大名誉教授(72)=東アジア考古学=だ。
当時は魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)がしのぎを削り、魏の曹操(そうそう)や蜀の劉備玄徳(りゅうびげんとく)ら英雄が覇を競った。
中でも優位にあった魏を、卑弥呼が外交相手に選ぶことは十分あり得た。
魏に朝貢した「景初3(239)年」は、卑弥呼が東アジア情勢を見極めていたことを示す重要なカギといえる。この前年、中国・
遼東半島から朝鮮半島北部の豪族で、倭と中国の交渉窓口だった公孫氏(こうそんし)が魏に反旗を翻して滅ぼされた。
「卑弥呼にとって公孫氏の滅亡は決して対岸の火事ではなかった。今度はいつ自分が攻められるか危機感をもったに違いない」
と近藤氏。中国に恭順の意を示すため朝貢したのは、公孫氏滅亡の翌年だった。「外交はひとつ間違えば国の存亡にかかわる。
卑弥呼はそれを知っていた」
■ ■ ■
景初3年は、日本の古墳から出土する銅鏡「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」の銘文に刻まれるなど、邪馬台国
ロマンのシンボルだ。魏志倭人伝は、魏が鏡などを下賜して「国中に示せ」としたと記す。政権に不安のあった卑弥呼は、中国皇帝
の権威を帯びた鏡を配ることで、国内統治を図ろうとした。三角縁神獣鏡は瀬戸内や日本海側で多く出土しており、大陸への
重要な海上ルートを確保した証しともいわれる。
三角縁神獣鏡は中国で出土していないことから、魏の下賜品ではなく日本製との説もあり、考古学界最大の論争となっている。
しかし近藤氏は「倭人伝に詳細に記された鏡が発掘で見つかっている。魏との関係は無視できない」とする。
東アジア情勢を敏感に察知し、中国の権威を内政に利用した卑弥呼。現在の「弱腰外交」に通じるようにも見えるが、自らの
国力と大陸の脅威を冷静に見据えた厳格な政治判断があった。近藤氏は言う。
「なぜそんなことをしたのか。国を造らなければならなかったからだ」
◇
尖閣問題など日本の外交力が問われるなか、連載最終章として外交史を踏まえた国のあり方を考える。
ソース(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120128/wlf12012808000002-n1.htm
写真=3世紀の東アジアの勢力図
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120128/wlf12012808000002-p1.jpg
写真=卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡=奈良県天理市の黒塚古墳
http://sankei.jp.msn.com/images/news/120128/wlf12012808000002-p2.jpg
- 20 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 13:24:34.80 ID:???
>>5
公孫氏は呉と誼を通じて反乱を起こしていたからな。
なので、実は呉も倭(日本)に出兵を企んでいたことはあったのだ。
呉は人口が少ないから、それを補うために日本から奴隷狩りをしようとしていた。
(で、まずその前哨として台湾にも出兵している)
…と見ると、「呉に対抗するために魏と結んだ」という側面もあるかもしれない。なかなか面白い。
>>13
ちなみに、始皇帝に命じられて「蓬莱」を探しに出た徐福は、日本に到達したんじゃないかとか言われてるねw
紀伊とかあの辺に「上陸伝説」がある。
- 44 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 13:50:25.21 ID:???
>>35
卑弥呼は「皇族の祖先(天照大神)」説もあれば、「古代の女性天皇の誰か」説、あるいは「まったく別の一族」説もあって、
邪馬台国=大和国、とまでは言い切れていないはず。
卑弥呼が誰を指すのかもまだ全然わからない状態。ただ、近畿説が濃厚になりつつあって、そうするとおそらくは
今の天皇家一族――つまり皇族――の誰かなのではないか、という気がする。
- 66 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 14:14:50.32 ID:???
>>54
公孫サンとは別の一族。公孫度―公孫康・公孫恭―公孫淵の一族だな。
- 76 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 14:30:05.79 ID:???
>>73
三国時代の最も大きな資源は「人口」ですよ。つまり、そういう意味では倭(日本)はいっぱい資源のある国だったのだ。
戦乱でものすごく人口が急減していたし、だからこそ呉も蜀も戦争で生け捕った捕虜は貴重な戦力だった。
- 78 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 14:33:36.61 ID:???
>>76はwikiソースで申し訳ないんだが、
後漢末の157年の人口が5648万人だったのに、三国時代ではわずか818万人まで減った。
いきなり1/7まで減ったのだ。(とはいえ、これはもちろん戦乱で記録から漏れている大勢の流民もいたであろうことは推測できるが)
さらに言うと、魏がほぼこの半分強を占めていて、呉や蜀はその残りを分け合っているような状態。
呉にいたっては、支配している範囲は広いが、あまりに人口がスカスカすぎて、だからこそあちこちで山賊が反乱を起こしたほど。
…という背景とかも理解すると面白いと思いマス。
- 98 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 14:50:26.79 ID:???
>>86
魏は比較的人口には恵まれていたのでその通り。俺が人口目当てで日本に攻める計画をしていた―というのは「呉」の方。
ちなみに、日本でも有名な陸ソンが「それはあまりにも費用対効果がバカバカしいのでは」と反対して、結局頓挫した。
>>88
んだねぇ。でも、蜀錦はこの頃に生まれたもので、そういう産業振興策なんかもあって人口流出を何とか食い止めようとしてた。
>>92
日本と違って土地に対する執着があまりないのでは。むしろ逃れて新天地を探した方が生き残れたというか。
- 128 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 15:24:04.23 ID:???
ちなみに、呉が海を渡って夷州(いしゅう)と亶州(たんしゅう)に兵を出したのが230年。
で、夷州には辿り着いたが、亶州には辿り着けなかった。
夷州は台湾を指し、亶州は沖縄とも日本とも言われている。
>>1の公孫氏が滅ぼされたのが238年で、倭が魏に朝貢したのが239年。
こうやって見ると、魏・呉・倭のそれぞれの出来事は、密接に関連性があるんではないかなと思ったりしてね。
- 121 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 15:15:36.40 ID:???
>>116
そうだよ。だから陸ソンが反対して頓挫したと言ってるだろうw
もっと後の時代の遣唐使ですら、海を渡れなかった人はいっぱいいるわけで、実はかなりの難コースなのだ。
逆に言えば、そんな荒唐無稽なことすら考えざるをえないほどに、呉の人口危機って大きかったのだよ。
実際に台湾には出兵してるのだ。まぁ、それで全然費用対効果に見合わなかったのだけど。
- 122 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 15:17:34.87 ID:???
>>119
いやそれは単に「敵の敵は味方」ってだけだと思うけどw
まぁもっとも、公孫淵はその後呉の使者の首を切って魏に投降したりとかしてたから、いざ攻められた時には呉は全く助けなかったが。
- 2 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:07:06.58 ID:E8QI7ZOx
まもなくチョンが沸きます
嘘に注意しそのまましばらくお待ち下さい。
- 21 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:24:51.68 ID:Mtg3fpTj
>>2
<`∀´>は関係ないニカ?
- 7 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:14:10.78 ID:19x9mqJC
>当時は魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)がしのぎを削り、魏の曹操(そうそう)や蜀の劉備玄徳(りゅうびげんとく)ら英雄が覇を競った。
これは記者の勝手なコメントか?
字(あざな)のことくらい少し調べりゃわかるだろうに
- 9 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:16:19.10 ID:erJBbdWa
その頃から東日本では栄えた土地は無いんだね
やっぱ津波とかおきて暮らしにくい中々栄えない土地だったんだな
- 17 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:22:32.57 ID:Lys/jV5X
>>9
記録はないけど遺跡は結構あるから、
栄えていないというのは微妙
- 10 名前:橋下:2012/01/28(土) 13:16:43.27 ID:vHBFl+c+
時間のあるときに観てください。
私は5年かかって世の中の裏を知りました。
周りの人は、テレビに洗脳されていて、真実に目を向けようとしませんでしたが、 これを観て、何人もの人が気づき始めました。
→ http://www.youtube.com/watch?v=zWPAktCuzK4
ネット上では、この様な情報はたくさんありますが、このシリーズは初心者でも理解し易い。
みんなでこれを使って情報拡散することを強く願う!!
既に日本が危険な状態です・・・
- 11 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:17:50.65 ID:J7XEK2SG
まだマキムクが邪馬台国とか言ってんのかw
もう九州北部で決着付いてんのにwwww
- 12 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:18:37.45 ID:9x4NIgED
朝鮮半島跳び越して外交してたの?
- 25 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:31:56.89 ID:xYqfwwPO
>>12
飛び越してないよ
邪馬台国と魏の外交は主に朝鮮半島でやってたっぽいし
邪馬台国の使者が最初に向かった先は朝鮮半島だしね
- 34 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:38:13.17 ID:6ciBJdSg
>>12
朝鮮半島南部は日本の領土
- 13 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:18:53.63 ID:92cbO2mN
むしろ中国人が神仙世界の理想郷としていたのが、
東方海上の神仙の島国「蓬莱」で、その君主の神仙「東王父」。
また西方山上で桃園のある「崑崙」とそこにすむ「西王母」。
ちなみにそれが三角縁神獣鏡に必ず鋳造された神仙二人。
- 16 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:21:35.24 ID:92cbO2mN
西王母は1年に一度 鳳(おおとり)の稀有(けう)の背を伝って東王父に会いに行くといい。
これが七夕のルーツのひとつといわれている。
- 19 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:24:21.94 ID:92cbO2mN
東王父はまたの名を東華帝君、扶桑大帝、木公、天皇といい、
そのため日本の君主は天皇を号した。
- 22 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:25:32.37 ID:Z801biUF
加茂岩倉の近くで大量の銅鏡が見つかれば
邪馬台国北九州説は確定する
- 26 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:32:09.54 ID:3S/alySI
>>22
もう決着してる話を一般人はあたかも両論が存在し争っているように考えているよね
畿内説で合意が出来ているんですよ
- 28 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:33:31.12 ID:Cje0QaW5
>>22
ヤマトが滅んだって記述があるんじゃなかったっけ?どこぞが倭の土地耕してるみたいな
大陸から来たのか内戦で滅んだのか知らんけどもしかしたら倭が北九州から東に移動したんじゃね
- 33 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:37:55.97 ID:92cbO2mN
4世紀初ごろの纏向遺跡からは、大和はもちろん、吉備や出雲や讃岐や毛野王権とみられる炊飯土器は出土しているが
北九州のは出ていない。
むしろ瀬戸内海に高地性集落が配置され北九州と敵対していたとみられるが
5世紀近くになって北九州からそれらの炊飯土器が出るようになった。
魏志倭人伝では少なくとも北九州は邪馬台国の支配地域であり、
それより東(本州、四国)は別種の倭人とみられている。
- 35 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:38:58.15 ID:4QfOZhoN
もうさ、「卑弥呼」って当て字はやめた方がいいんじゃないか?
当時、日本では文字が無かったから当時の中国人が勝手に卑しい漢字を当て字に使ったんでしょ。
本来ならヒミコは「日御子」なんだろ。
邪馬台国の漢字もなぁ、ヨコシマな「邪」なんて漢字をわざと遣ってるし。
どうせ「大和之国」が訛って「邪馬台国」になったんでしょ。
- 36 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:40:39.16 ID:uIunRia3
>>35
漢字の意味が嫌だから改名とか、<丶`∀´>ぽくて嫌だな…
- 44 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 13:50:25.21 ID:???
>>35
卑弥呼は「皇族の祖先(天照大神)」説もあれば、「古代の女性天皇の誰か」説、あるいは「まったく別の一族」説もあって、
邪馬台国=大和国、とまでは言い切れていないはず。
卑弥呼が誰を指すのかもまだ全然わからない状態。ただ、近畿説が濃厚になりつつあって、そうするとおそらくは
今の天皇家一族――つまり皇族――の誰かなのではないか、という気がする。
- 49 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:51:31.82 ID:fmjEw+dA
>>35
単純に
台与を「トよ」と読ませといて、
邪馬台国を「やまタイ」と読ませるのはなぜなんだぜ?
- 40 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:46:04.22 ID:+laNV3Wu
買いかぶりじゃないかな
正直、そこまで当時の大陸情勢わかっていたとも思えない
後年の遣隋使初回で国書も持たず行ったりとか外交儀礼に疎かったぐらいで
この頃も大差ないんじゃないかと
大体そういう見識あれば継続的に使者送るだろうし
- 42 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 13:48:31.57 ID:b7kl0aut
∧,,∧
(;´・ω・) うーん・・・ たまたまじゃね?
/ ∽ |
しー-J
- 56 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:04:28.91 ID:7UWSkiYE
ってか前から疑問だったんだけど
卑弥呼をヒミコってなんで読み方わかるの?
大和とか倭をヤマトとか勝手に読んだり誰がそんなこときめたの?
あと奈良のこと大和っていうしあそこがヤマタイ国じゃねーの?
理系にはようわからん
- 58 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:08:00.80 ID:6ICwWuCp
この中国の戦国時代には、大動乱のために移住先を求めていて、
王朝の官僚階層が東方に平穏な国があるとか書いた木簡が出ていて、
その移住で、日本にかなりの鉄器や文物がもたらされたようだし。
もちろん、それは民族集団の一部に過ぎないが、重要なものではある。
5000年前の航海技術でも、ある民族は相当なものだったようだし。
- 60 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:10:00.66 ID:Hcqdr35S
頼った先も分裂王朝というねwww
- 61 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:10:11.06 ID:r3olTjpi
日本は永代属国だということ?ネトウヨ哀れw
- 79 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:34:16.27 ID:NYadiMzL
>>61
どれだけネトウヨにコンプレックス持ってるのか
- 67 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:15:06.55 ID:HYtZ/0t0
そもそもお前ら、後漢書東夷伝を読んだら分かる。
私達はコレコレシカジカの苦労をして九州まで行って話を聞いてきたのですが、
ヤマト国はヒメノミコトが仕切っているそうです。
呪術とか使える女のようです。
そんな報告書だからなwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 69 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:16:12.85 ID:6uf9msda
日出処天子致書日没処天子無恙
東天皇敬白西皇帝
- 73 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:24:09.75 ID:WM59nzl8
あの時代は超辺境扱いで大した資源も無かった日本にあの時代の原始的な船で海渡って総力上げて攻めてくるわけねぇだろ
卑弥子さんもビビリだな
- 75 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:29:46.03 ID:HYtZ/0t0
>>73
そうじゃなくて、朝鮮半島との力関係が欲しかったのが事実だろ。
中国は、
他国が中国に贈り物をしたら貢物と称し、
時刻が他国に贈り物をしたら印綬と称する。
勝手にそういう話にしているだけで、ヤマトが中国に貢いでいたわけじゃない。
- 76 名前:諸君、ていうかお前ら!? φ ★:2012/01/28(土) 14:30:05.79 ID:???
>>73
三国時代の最も大きな資源は「人口」ですよ。つまり、そういう意味では倭(日本)はいっぱい資源のある国だったのだ。
戦乱でものすごく人口が急減していたし、だからこそ呉も蜀も戦争で生け捕った捕虜は貴重な戦力だった。
- 89 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:43:24.75 ID:6ICwWuCp
「占い」という、政治のことなんですけどね。
様々な環境変化・社会問題に対して、自然からの「兆候」を「お告げ」として語る人が、
人心をまとめるという役割をしていたわけで。
兆候だから、妙な「声が聞こえる」って話になるわけで。
現代政治のほうが、よほど機能不全に陥っている面もある。
神権政治に戻れという意味じゃなくて。
- 93 名前:稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 14:45:11.66 ID:oyFMKF9q
地政学的に、魏にとって倭というのは呉に対して牽制する役を果たし得る国だった。
実際には邪馬台国は倭国内の敵対勢力に対応するだけで手一杯だったが。
歴史は繰り返す。
明が清によって滅亡させられる直前、明は日本に軍事援助を求め、
清(女真)もまた日本府という(架空の)役をもうけて、
清の背後に日本ありと思わせようとした。
元寇や倭寇やヒデヨシの朝鮮出兵で日本の国力と武力は、
日本人が考えている以上に他国には脅威だった。
- 99 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:51:06.10 ID:XMqf8nx1
国のイメージだ
中国=龍
韓国=虎
日本=猿
中国は壮大な国、龍がふさわしい
韓国は韓民族の国、古代から中国と張り合ってきたアジアの虎
日本は古代は韓国、近代は西洋の猿真似、だから猿
アジアの白人とアジアの黒人
- 100 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 14:51:15.83 ID:miE4Sd34
スレ立てた奴にレスしてる馬鹿消えろ
- 107 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:01:12.68 ID:iLVRO4BK
そもそも卑弥呼って権力あったの
まだ科学がないから宗教的シンボルとして部族を纏め上げるためのアイドルだったんじゃねーの
で、実権は周辺のおっさん
- 111 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:06:28.39 ID:HYtZ/0t0
そもそも朝貢なんてしてなくて単なる交易。
それを、朝貢しに来たよー!って言い出しただけ。
- 129 名前:稗田朝臣無礼:2012/01/28(土) 15:27:27.76 ID:oyFMKF9q
>>111
現実には日本の朝貢貿易というのはそういうもの。
中国王朝には対等外交というものはないので、
册封を受けた王にその貿易を認めるというもの。
ただし、中国皇帝は諸国の王に対してその貢ぎ物の何十倍もの下賜品を賜ったので、
実利的には多大なものがあった。
朝鮮などの周辺国は册封を受けなければ攻撃される危険が大きかったが、
日本にとっては元寇を唯一の例外として、(それでさえ局地戦でしかなかったが)
中国の実質的な脅威は存在しなかったので、
実利的に見ればおいしい交易であったことは間違いない。
- 117 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:11:46.27 ID:2poplF6g
s korea の事を韓国と言うのかいw
- 120 名前:卍:2012/01/28(土) 15:15:08.51 ID:kTjlHP+w
邪馬台国は北九州でしょう?奴こくが九州なのは確実です。隣国ですので
九州でしょう。
- 123 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:18:04.62 ID:FUjNtYjR
凄い基地外が一人湧いてるwww
- 124 名前:卍:2012/01/28(土) 15:19:24.40 ID:kTjlHP+w
鑑真和尚は3回目に日本に到達。遣唐使は神風攻撃隊でした。
- 126 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2012/01/28(土) 15:20:58.60 ID:0Lnyp/JO
穢便器がまだシベリアにいた頃の話だな
- 127 名前:ホロン部員 ◆t/GUd7ef.2 :2012/01/28(土) 15:22:33.17 ID:FlwZbp2O BE:39795252-2BP(2111)
>女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国の最有力候補地
いつから最有力に????
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コメント一覧
1. 名前:名無し腐敗 2012年01月28日 17:44 ID:2rJKnJwE0
山門ってやつか
2. 名前:名無し腐敗 2012年01月28日 18:57 ID:9m23mI2R0
諸君(もろこし☆)記者モドキのレスを最初に抽出しているブログ主は、在日かな?
二度とこのブログには来ないよ。
二度とこのブログには来ないよ。
3. 名前:名無し腐敗 2012年01月28日 19:31 ID:RK45yUe.0
朝鮮南部は「倭人の国」ってのが歴史書にもあるから、
そこから情報は邪馬台国側にも流れてくるでしょ。
そういった意味では当然外向的なやり取りってのは確かなのでは?
そこから情報は邪馬台国側にも流れてくるでしょ。
そういった意味では当然外向的なやり取りってのは確かなのでは?
4. 名前:名無し腐敗 2012年01月28日 20:21 ID:rqEX8p1j0
九州王朝説みたいのを信じてるのがまだいるんだな。
騎馬民族説を大真面目に話す団塊もいるようだし、アマチュアは勉強不足で知識が遅れてる。
騎馬民族説を大真面目に話す団塊もいるようだし、アマチュアは勉強不足で知識が遅れてる。
5. 名前:シャネル スキンケア 2014年09月27日 12:14 ID:zagiUhzu0
Today, I went to the beach with my children. I found a sea shell and gave it to my 4 day old daughter and supposed “You can find out the ocean if you situate this to your ear.” She put the shell to her ear and screamed. In attendance was a hermit crab inner recesses and it pinched her ear. She never desires to go back! LoL I make out this is absolutely rancid issue nevertheless I had to tell someone!
6. 名前:グッチ 時計 ブラック 2014年09月27日 12:14 ID:aARxIBU60
"Il y a un énorme travail de retournement à faire, les stocks sont colossaux et il faudrait rapatrier la production en France."